2023年も、もうあっという間に一月ほど経とうとしている。 数年前、所属教会の牧師が説教の中で、「人生はトイレットペーパーに似ている。」と語ったのが今でも印象に残っている。 トイレットペーパーは初めの頃は一巻きの長さも長く、なかなかなくならないように感じるが、中心に行くにつれ、一巻きの長さは短くなりあっという間に減ってしまう。 幼かった頃、一年はとても早く感じた。歳を重ねるにつれ、時の経つのがだんだん早くなり、気づくとあっという間にまた一年が過ぎ去っている。 人生の中間点はどのあたりにあるのか。ひょっとすると、物理的な中間点よりももっと前なのかもしれないし、後なのかもしれない。時の経つスピードは時間の過ごし方の密度と関係があるのかもしれないし、もしかすると、歩く速度と関係があるのかもしれない。
Category: 日本語
シンガポール 縦断ウォークに挑戦 ①
8月9日はシンガポールの建国記念日。1965年にマラヤ(現在のマレーシア)から独立し、2022年の今年は57年目。 コロナで過去2年間は大々的なお祝いが出来ず、3年ぶりの祝祭。マリーナベイを背景に設置されたステージを中心に盛大なパレードが行われた。 私たちは、朝早めに起きて、今日は以前から気になっていたシンガポールを縦断するCoast to Coast Walkに挑戦。西側のジュロン・レイク・ガーデンから出発することにし、自宅からまずは電車(MRT)に乗ってチャイニーズガーデン駅へ。実は最寄りの駅はレイクサイドだったことに後で気づく。チャイニーズガーデンから出発するか少し迷ったが、コースを踏襲しようと律儀にレイクガーデンまで2キロほど逆戻り。レイクガーデンについて出発点を探すが起点の標識が見つからない。仕方なくレイクガーデンの入り口を起点とした。 レイクサイドの駅からは歩いて数分の距離にある。再び縦断ウォークをする時が来たら、レイクサイドで降りよう。(備忘録)。 そんなこんなで出発まで少し手こずり、すでに午前7時45分くらい。早めに出発しようという目論見はまんまと打ち砕かれる。相当暑さと闘う道のりになりそう。 UV対策と水分補給は忘れないように、楽しもう!
手書き・手入力・音声入力について
最近、音声入力に挑戦している。 iPhoneの入力画面のキーボードの右下にあるマイクのアイコンをクリックしてから話すと画面に文字として表示される。初めは恐る恐るゆっくりはっきり発音していたが、徐々にスピードをあげていくと、通常の会話のスピードでも余裕で聞き取ってくれるという優秀さ。固有名詞などでは自分の滑舌の不明瞭さがバレてしまい、意外な表示に苦笑いをしたり。それでも汎用性のある単語などはスマートに私の滑舌の悪さをカバーして自動修正してくれたりする。恐るべし。延々と話し続けることはできないが、感覚としては逐次通訳のように適度にポーズを取りながら話していくことに慣れれば、手入力よりもずっと早く文章が書けるようになる、きっと。 速度で言えば早い順に音声入力>手入力>手書きとなる。速度によって思考の回路や特徴は変わるのだろうか。 例えば移動について考えてみると、早い順に飛行機>電車>車>自転車>ランニング>歩行になるだろうが、(場合によっては車の移動の方が電車よりも早いこともあるかもしれない)それぞれ見える景色も気付きのポイントも変わってくる。 同じようにアウトプットの速度によって思いつくことや考えのまとまりなど、特徴も変わるのかもしれない。これはもう少し実験をしてみたくなる。
織田信長と安土城
2021年3月15日。マリオット琵琶湖から車で湖畔を北上し西の湖のあたりで東へ向かうと30分ほどで安土に着く。まだ3月の半ばだが晴天で車の中は気温が上がり汗ばむほど。 安土城跡の大手道前には無料の駐車場がある。 安土城の正面玄関、大手道の入り口の大手門で入山料700円を払ってパンフレットをいただく。長篠の合戦で武田勝頼に勝った翌年、1576年から3年かけて築城。信長は天主に移り住むが、その3年後、1582年6月2日、明智光秀の謀反により本能寺の変で自刃。49年の生涯を閉じた。そして6月15日には安土城も焼失、落城。明智光秀軍による放火という説もあるが、真偽のほどは明らかになっていない。 大手門から山腹まで180mほど直線的に伸びる部分の大手道は道幅6mと広く力強い。大手門近くの東西には伝羽柴秀吉邸跡、伝前田利伸邸跡がある。入り口近くに重鎮の屋敷を構え睨みをきかせている。信長が将来天皇を迎えるために作らせたものだという。天主から少し降りた場所にある本丸御殿には、天皇を招き入れるための御幸の間があったとのこと。 一方、当時城を訪れる人々の多くは城下町にほど近い百々橋口から二王門(重要文化財。1571年建立。甲賀より信長が移建)そして三重塔(重要文化財。1454建立。甲賀の長寿寺から信長が移建)と摠見寺(そうけんじ)本堂(現在は本堂跡。仮本堂は大手道沿いの伝徳川家康邸跡にある)を通って信長の居住していた天主へ登ったそうだ。神仏を恐れないことで知られる信長だが、標高199mの安土山全体が寺となっている。 そして天主に登る前に寺の本堂を通らせるというのには、精神的な防御壁の意味もあったのではないかと思わされる。一方で仏足石にみられるように、神社仏閣から石材を集めて城の石垣を築いた。信仰の厚い人びとの憤慨させたことは容易に想像できる。 だが、信長は実は形式にとらわれない真の信仰を求めていたのではないか。確か2020年放送の大河ドラマ「麒麟がくる」ではアフリカから連れてきた奴隷を献上する宣教師に、神の愛と人間の平等について信長が尋ねた場面があった。仏教だけでなくキリスト教の本音と建前さえも鋭く見抜き問いただす信長の鋭敏さと真摯さが窺える。信長は神仏を否定したのではなく、それらを自分たちの利得のために利用しようとする自己中心的な人間の弱さを非難していたのではないか。 天主跡からは安土の町、田畑、そして琵琶湖が望める。今は干拓によって四方が陸地に囲まれているが、信長の時代には琵琶湖の内湖に囲まれ、南方のみが開けていたそうだ。琵琶湖を挟んで比叡山もよく見える。ここから比叡山焼き討ちを命じたのか。その際には瀬田の唐橋を通って比叡山に向かったのかと考える。 ここから琵琶湖を眺め、信長は何を思ったのか。天下布武、武徳によって戦乱の世に終止符をうち、平和な時代をきずく。そんな夢を抱いて走り続け、夢半ばにしてその生涯を終えた信長。49歳。ちょうど今の私と同い年。短い生涯だったがとても濃い時間を過ごしたのだろうな。最期にはどんな思いを抱いたのだろう。
コロナの秋の空の旅とSHN ー1日目(11月1日)
5時前に目覚めて、アラームが鳴る前にオフにする。 まだ暗い。顔を洗い、歯を磨き、洗面台周りのものを最後に入れてスーツケースを閉める。 もうもうやることはない。ガスを消して、ウォシュレットの電源も切る。予定より少し早めに家を出る。出がけに最後にでたゴミを小さなプラスチック袋に入れてゴミステーションへ出してから、駅まで歩くことにした。今朝は冷える。お天気アプリによると10度。少し歩くと心地よくなる。 東海道線で横浜へ。京急羽田線に乗り換える。国際線ターミナルが、第3ターミナルと呼ばれるようになっていた。 8時過ぎに到着。朝の空港の清々しさが好きだ。今朝は特に静まり返っている。シンガポール行きの前にヒューストン行きの便があるようで、ANAのカウンターはそれでも人が行き交っている。いつものようなチェックイン待ちの列はない。 出国審査も待たずに通過。 免税店もほとんどが閉店しており、通路も人通りなくひっそりとしている。110ゲート近くのANAスイートラウンジへ。規模縮小で現在はスイートラウンジだけですべての乗客を対応しているらしい。それでも空いている。 飲み物やおしぼりのサービスも今はすべてセルフサービスに。軽食のサービスは少しバラエティを減らして、個別にラップをかけて感染対策をしている。ホットミールはオーダー式で提供。今日はパンプキンスープをいただいた。もう少しドロッとした濃いスープが好みだけれど、体に優しい味。 朝なのでお酒類はパス。アップグレードしてもらえたらビジネスクラスで美味しいお酒を飲めるとも目論んでいる。 ラウンジで休んでいるうちに、先ほどチェックインカウンターでアテンドしてくれたスタッフが、ビジネスクラスのチケットを持ってきてくれた。席は6K。右の窓側なので、きっと富士山が見える!今日は天気もいいし、期待が膨らむ。 10時25分から搭乗。コロナ対策で後ろから順にのる。ビジネスクラスはグループ4。まずはプレボーディング。家族連れが1組かな。そしてグループ1−3。ちらほらと。そしてグループ4−6。機内はかなりガラガラ。 席についてほっとした頃、スパークリングワインとオレンジジュースのサービス。機内誌も頼む。感染対策で席には備え付けていない。 久しぶりの国際線。心が弾む。滑走路を滑るように静かに進み、大好きな離陸の瞬間。今回の席は翼よりも前にあるので、外の景色がひらけている。離陸してしばらく映画を楽しんでいたら、あっという間に相模湾の上空。慌てて下を見ると辛うじて相模川の河口が右端の方に見えた。我が家のあたりもあのあたりだ。左の方には伊豆箱根の山々が。そして奥には富士山が見えてくる。芦ノ湖と富士山をフレームに入れて記念写真。 しばらくするとランチのメニューが配られる。和食か洋食。どっちにしよう。フィレステーキにも惹かれるが、しばらく日本を離れるので美味しい和食にしよう。和食は様々な小鉢が出てきて、目にも美味しい。飲み物はまずシャンパン。そしてスパークリングウォーターも。シャンパンはお代わりして、食後にコーヒーと緑茶をいただいた。 今回はエアージャパンのスタッフで運航。ANAの客室乗務員に比べると少し残念なところが気になるエアージャパンのイメージだが、今回は満足なサービスだった。乗客と客室乗務員の数がほぼ同じくらいじゃないかと思うほど、乗客が少なく、自然とサービスも手厚くなる。 途中軽食やハーブティーなどもいただいて、マレーシア沖の島々が見えてきた。 久しぶりのシンガポール。入国審査は普段は無人の自動レーンを使うが、今回は皆対面のカウンターで。今年の3月27日以前に出国したシンガポール国民と永住者はホテルでの2週間のStay Home Notice の費用は年末までは政府が出してくれる。 預けていたスーツケース3個は結構早く出てきた。続いて黄色のステッカーエリアへ。ここでホテル行きのバスを待つらしい。私を含め同じ便に乗っていた日本人が数人加わると、定員になったらしく、スタッフが私たちを空港の外へ誘導した。待機していたバスに乗り込む。行き先は告げられないまま。 外に出てから、ここは第3ターミナルだったんだと気づく。目の前は奇抜な建物、ジュエル。 シンガポールについてこんなにワクワクドキドキするのは初めての経験かもしれない。まずは空港から続く高速道路、ECPをまっすぐ街の方へと進んでいく。イーストコーストパークが左手の方に広がり、マリンパレードのエリアを通り過ぎた。とりあえず街中のホテルに行きそうだ。AYEの方へと続く迂回路には向かわず直進したので、もしかしたらサンテックエリアか?リッツカールトンなど高級ホテルのあるエリア。淡い期待感が膨らむ。が、そちらには曲がらず、ローチョー・ロードをブギス、ニュートン方面へ直進する。ブギスにはインターコンチネンタルもあるが、そこも通過。さてはリトルインディアあたりの安宿?少し不安がよぎる。リトル・インディア付近も通過し、KK病院も通り過ぎる。ニュートンサーカスへ行く側道も通過。うーん、どこに向かうんだろう。バルチモア地区への道を左折。この辺りだと、もしかしてシャングリラ?との期待も裏切られ、オーチャードへと抜ける道を進む。左手に見えるオーチャードホテル。バスはロータリーへと向かう。オーチャードホテルだ。高級ホテルではないが、安宿でもなかったことにひとまず安堵。綺麗な部屋だといいなあ。 バスからは一人ずつ、間隔を空けて下車させられる。自分の荷物をもって裏口へ。そうだよね。流石に、一般客も利用するレセプションには行かないよね。 屋外に設置された簡易のカウンターでチェックイン。パスポート、身分証明書をプラスチックの仕切り越しに掲げて見せる。なるべくコンタクトはしないという趣旨らしい。デポジットとして1000ドル、チャージされた。ルームサービスなど何も利用しなければ返金される。 渡されたキーカードは516。スタッフがもう仕分けなさそうに、「ごめんね。窓はあるけれど、開きません。」と言った。換気ができないのは気になるけれど、窓があるだけでも感謝。 516号室は廊下の右側。ルームキーは使えなかった。向かいの部屋になった日本人の男性のキーが使えないといった。受付に戻ろうとしたら、スタッフが私の荷物を運んできてくれたので、二人の部屋を開けてもらった。スタッフによるとキーは一度きりで、あとは使えないという。部屋から本当に一歩も出られない。2週間、さて大丈夫かな。 ツインベッドのお部屋。まあまあゆとりがある。オーチャードロード側で、向かいにはオーチャードパレードホテルが見える。視界が開けていてよかった。右手の方にはタングリン方面の木々の緑が目に入り心が安らぐ。 ブライアンに連絡。明日差し入れを守ってきてくれるそうだ。 まだしばらくは会えないなあ。 2週間分のメニューももらった。毎日3食、2週間、毎日違うメニューが提供される。ありがたいなあ。 今夜の夕食はインド料理。バスマティライスに、チキンティカ、じゃがいものアルーゴビ、そしてデザートのケーキ。かなりのボリューム。これを毎日3食2週間食べ続けたら太るわ・・・
コロナの秋の空の旅とSHN ー前日(10月31日)まで
久しぶりにシンガポールに帰れることになり、数週間前からなんとなくそわそわ。 仕事で頻繁に飛行機で移動していた頃は、手荷物はなるべく預けず機内持ち込みに収まるよう最小限で旅するのに拘っていたが、今回は紙類が多く全体量も大きなスーツケース2個と小さなスーツケース1個になり、初めて、羽田空港第3ターミナルまで手荷物を宅配した。宅配受付は出発の2日前までなので、いつもより早めにパッキング。絶対に持っていきたいもので、前日に使用しないものを先に送り出す。10月30日。午前中指定でお願いしていたら、9時過ぎに取りに来てくれた。 初めてのことはいつでも少しドキドキ。ちゃんと届くかな。空港について荷物が来ていなかったらどうしよう。そんな心配は無用だとはわかっているのだが。特に日本のサービスは信頼できる。 10月31日土曜日。出発前日。昨日までに大きな荷物は送ってしまったので、気持ちも少し軽くなる。後は最後に残った小さなスーツケースに思いつくもの、忘れていたものを少しずつ詰めていく。最後まで使い到着先でも最初に使う身の回りのものは最後に。 シンガポール到着後2週間ホテルに缶詰になるので忘れ物がないか少し心配。 心配はしだすときりがないけれど、大丈夫と自分に言い聞かせる。 エコノミークラスで預けられる手荷物は23kgを2個。前の仕事のおかげで得られたステータスで、無料で1個追加できる。合計3個。手荷物をこんなに持って旅するのは初めてかもしれない。 初めて国際線に乗ったのは19歳の夏。アメリカ西海岸のサンディエゴへの留学だった。初めての海外。同じ学校に留学する静岡出身の長身の美人と一緒の便に乗ることになった。確かマレーシア航空の飛行機。ビギナーズラックだったのか今でも謎なのだが、なぜか二人ともアップグレードされた。ファーストクラスだったのかビジネスクラスだったのか今でも定かではない。が、案内されたのは階段を登った上の席だったのを覚えている。かなり大きな機体だったのだろう。ゆったりとした席。窓からの眺めも良好。体にフィットした民族衣装のデザインのユニフォームを纏った客室乗務員のスタイルの良さに惚れ惚れ。機内食は簡易なものでなく、落とせば割れたり大きな音のする質感の良い器やカトラリーで。食事の味は器との相乗効果も大きい。確か調子に乗ってお酒も飲んだ気がする。何もかもが新鮮で機内を楽しんでいるうちに太平洋の向こう側へ。初めてのアメリカの玄関口はロサンジェルス空港。とにかく大きい。入国と乗り継ぎにたくさん、たくさん歩いた記憶がある。どこまでも続く通路の両側にショッピングセンターのようにいろいろな店が並んでいる。 サンディエゴまでの飛行機は確かプロペラ機。機内は狭い通路を挟んで椅子が両側に一列ずつ。10人乗りくらいの確かプロペラ機。高度も低く、眼下の景色がよく見える。あっという間にサンディエゴのダウンタウンが見えてきたと思ったらかなりスリリングな着陸。建物や高架の高速道路すれすれに急降下して着陸する。 話をもとに戻そう。 今日はアップグレードポイントを使ってアップグレードを申請している。格安運賃で予約したので、アップグレードポイントは通常の2倍の16ポイント。それでも今から翌3月までに何度飛行機に乗れるかわからない現状では、使えるうちに使おうという気になる。 アップグレードできるかどうかは、当日にならないとわからない。 掃除機をかける。 トイレ掃除。 冷蔵庫の残り物の整理。残っていた豆乳を飲み干す。 最後のゴミ出し。 時間が少し余った。今日はジョギングというより、散歩の気分。夕方、海岸まで散歩することにした。秋らしい晴天。日没はだいぶ早くなってきた。 サイクリングロードをまずは左の方、江ノ島方面に向けて少し歩く。それから引き返して、今度は夕日に向かって歩く。ジョガーも多い。ジョギングするには最高の季節だ。あっという間に夕日は伊豆半島の山の向こうに沈んでいく。夕暮れに空のいろが少しずつ変わっていくのが好きだ。特に日が沈んだ後にグラデーションに染まっていく時間。 伊豆箱根の山々のすぐ上は濃い茜色。そこから水彩画のように空色へと徐々に変わる。こんな夕焼けを愛でられるのは幸せ。富士山も綺麗に見えるようになった。 湘南に暮らせる幸せを実感する。 コロナ感染を広げないための外出自粛期間も、茅ヶ崎に住まえることは感謝だった。住宅街は普段と変わらない落ち着きがあり、遠くからの釣り人やサーファーが心なしか減ったせいか、海岸はいつもよりも静か。と思いきや、自粛期間のサイクリングロードは、散歩する人や走る人で普段よりも人通りが多い気がする。コロナ感染予防のため、砂浜には立ち入らないでください、という立て看板が目に入る。が、実は砂浜の方がソーシャル・ディスタンスが保てそうだ。 海の家も今年は中止となったので、確かに海岸は静かだった。その分、波音、トンビの声、本来の海が味わえる。 夏の間はなるべく涼しい早朝に走った。6時台よりも5時台の方がジョガーの数が多い。皆、日の出前から走り出して願わくは太陽の力が全開になる前に走り終えようと早起きする。6時半のラジオ体操が始まることには家路につきたい。 そのうち日の出がだんだん遅くなり、この頃は5時半過ぎにやっと日が昇る。 さて、日が沈んでからしばらく経って、だいぶ薄暗くなってきた。空気もだんだんひえてくる。寒くならないうちに家に帰ろう。 残り物で早めに最後の夕食を取り、ゆっくり入浴。最後の洗濯をして浴室に干してから、ベッドに入る。この頃はポッドキャストを聞きながら眠りにつく。 自然と朝早く目覚めるのが常だが、今夜は念のためアラームをセットしてから寝よう。5時、5時15分、5時30分、6時と何度かに分けてセットする。最後の6時はギリギリの滑り止め。